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PalermoShooting
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パレルモ・シューティング
2011年
監督:ヴィム・ヴェンダース



ドイツのデュッセルドルフで活躍するカメラマンのフィンは仕事や私生活に疲労し、母の死をきっかけに自分の生と死について考えはじめ、いつしか死神が射る“矢”に狙われる様になる。
ある日フィンは撮影のために訪れたパレルモで、壁画〈死の勝利〉を修復しているフラヴィアと知り合う。


物語としては陳腐とゆうか…はっきり言ってつまらなかった。
けれどヴェンダースの作品らしく、美しい街並みの映像に魅了されてしまう。


フィンはカメラマンだが、そのままの写真を公開せず、デジタル処理したアート写真を制作している。
その作風は現実像が曖昧になるという問題を抱え、自分の作品と向き合うたびに自らのアイデンティティも曖昧になる感覚に捉えられていた。
その事がきっかけで自分の中に死神を宿すようになる。


本編では死神がこんな事を言う。
「デジタルは実在を保証せず、好き勝手に手を加えられるので本質を失わせる」
死神がそんな事言うなんてちょっと可笑しいが、それはヴェンダースがフィンに自分の代わりに“映像の死”と向き合わせているのではと感じられる。
事実、この作品自体をヴェンダースはフィンと同じ方法で制作しているらしい。
35フィルムや16フィルムで撮影したあと、全てのシーンをデジタル変換して色調補正し、映像加工して完成させたのだ。


一昔前まではフィルム撮影が当たり前であり、真実を写していたように思う。
今では写真を撮られ、魂を抜かれる感覚はデジタルではあまり感じなくなってしまった。

フィンの様に疑問に感じていたのはヴェンダース自身だったのだろう。
表現することで生きるアーティストは何をすべきなのか?本質とは?…という問いかけがこの作品に含まれていると感じた。


デジタルとアナログ。
死に神と新しい生命。
フィンが見るものと見えるものを信じ創作しているのに対し、フラヴィアは神や愛、生命と見えないものを信じ壁画を再生していて
あらゆることが対置されている事に気付く。


また、死神は「死を愛することは生を愛すること。全てはここから始まり、ここにしか出口は無いのだ。」と言っている。
生を敬らないと死をも敬れないのだ。

そして死神その死神、死そのもののホッパーはこの作品で重要である。
顔を白く塗りデジタルについて語るなんとも不思議な、というか死神にしてはお茶目な感じがしてなぜか愛おしいのだが、彼はヴェンダースと30年来の友人でもあり、この作品が遺作となってしまう。
なんてなんとも皮肉な運命。

死は恐怖の対象のはずなのに、生とともに存在する事を教えてくれるホッパーのような死神ならそばにいてほしいけどなぁ、なんて。


どこかで聞いたことあるような話が至る所に散りばめられたストーリーではあるけれど、出演者の話題性、存在感、そしてヴェンダースの映像の捉え方がやはり良かった。


ルー・リードがヴェルヴェットアンダーグラウンドのサム・カインダ・ラヴ(これまた歌詞の一節が作品に絡まれてる)と登場したり、妊娠中のミラ・ジョボヴィッチが本人役だったり、フィンがパレルモで出会う美女フラヴィアだったりと豪華なキャストで揃っている。

フィン役のカンピーノはバンドのフロントマンだそう。不思議な表情をする人だった。

そしてミュージシャンの彼がカメラマン役になる為に見学しに行ったアーティストがあのアンドレアス・グルスキーだと言うから余計気になってしまう。
それから劇中出てくる女性カメラマンは地元で活躍する、レティッツィ・アバッターリアである。
彼女は現実に危険を顧みず、マフィアによって殺された人々の写真をパレルモで撮り続けているらしい。



とにかくたくさんの要素が包含され、パレルモの美しい街並みへと繋がっていく。






考えることと、表現することの間に、人生が存在する。


まさしくあの歌詞の一節そのものを考えさせられる作品だ。
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